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京都史跡!歴女がおすすめする名所8選

一度は訪れてみたい日本の観光スポットである京都。何百年・何千年と守り継がれてきた建造物や史跡。そして数々の偉人たちにもゆかりある街並み。
歴史を語る上では決して外すことができないのが京都です。
そこで今回は、京都の史跡にスポットをあてて、どのような歴史があったのかを、一覧にしてご紹介したいと思います。

史跡とは

名所をご紹介する前に、そもそも史跡とは何なのかを少し説明します。
史跡は、日本の文化遺産保護制度における文化財の種類の一つで、貝塚・集落跡・城跡・古墳など、遺跡のうち歴史や学術上価値の高いものを指し、国や自治体によって指定されたもののことを意味します。
種類としては、国が指定した史跡・地方公共団体が指定した史跡などがあります。

京都史跡のおすすめ名所8選

数ある史跡の中で、一度は訪れておきたい名所を、歴史と共に解説していきたいと思います。

金閣寺(鹿苑寺)

一般には「金閣寺」と呼ばれていますが、正式名称は「鹿苑寺」足利義満の法号鹿苑寺院殿から二字をとって、名付けられてと言われています。
もともとは鎌倉時代に公卿・西園寺公経の別荘を、室町幕府三代将軍足利義満が譲り受けて、改装し北山殿と呼ばれる新たな別荘を建立。金閣を中心とした庭園・建築物など、極楽浄土をこの世にあらわしたとも言われています。
それだけゆったりと心を落ち着けせることができる場所とも言えるでしょう。
その後、義満は生活拠点を金閣寺に移して、貿易や重要政策など、文化の発展に貢献した舞台でもあります。
ただ現在ある金閣寺・舎利殿は、昭和25年に放火により焼失。5年後の昭和30年に再建されて、国宝ではなくなりましたが、金閣寺を含めて平成6年に「古都京都文化財」として世界遺産に登録されています。

金閣寺へのアクセス・拝観料

JR京都駅~金閣寺まで、バス約40分+徒歩約5分
バス料金=片道・大人230円  子供・120円
拝観時間=9時~17時  
参拝料=大人(高校生以上)400円・小中学生300円
所在地=京都市北区金閣寺町1

銀閣寺

銀閣寺は臨済宗相国寺派の寺院の一つで、正式名称は「東山銀閣寺は臨済宗相国寺派の寺院で、正式名称は、義政の法号慈照院にちなんで「東山慈照寺」と名付けられました。
銀閣寺は、室町幕府8代将軍足利義政が、祖父である足利義満が北山に山荘を建てたのを模して東山に山荘を建てました。
また義政は美意識が強かったため、ワビ・サビをベースにして東山文化を一大山荘に作り上げていきました。
きらびやかな金閣寺とは対照的に、簡素ではあるが美しさを追及した、究極の寺院です。

★銀閣寺へのアクセス・拝観★

JR京都駅~銀閣寺まで、バス約30分+徒歩約5分
バス料金=片道230円
拝観時間=夏季(3/1~11/30)8時30分~17時 冬季(12/1~2月末)9時~16時30分
拝観料=大人(高校生以上)500円・小中学生300円
所在地=京都市左京区銀閣寺町2

京都所司代上屋敷跡

今は廃校になっている待賢(たいけん)小学校あたりに京都所司代上屋敷があったとされています。所司代は、室町幕府に侍所(さむらいどころ)として、織田信長が監視や治安維持のために設けて、江戸幕府も同じ役割として受け継がれています。
歴史上は江戸幕府に設けた方を指しています。
江戸幕府の所司代は、関ヶ原の戦いの直後に設けられ、皇室・公家の監視、京都諸役人の統率、近畿8か国の訴訟処理、西国33か国の大名の動向監視など、強い権限を持つことから、幕府の老中につぐ重要な役職でした。
しかし「京都町奉行」ができてからは、政治力は衰退。1862年「京都守護職」が設けられると、所司代は管轄下に属し、王政復古により廃止されました。

★所在地★

京都市上京区藁屋町

東福寺

臨済宗東福寺派の本山で、京都五山の一つになります。
この場所は、924年に藤原忠平によって建てられてから、藤原氏の氏寺として重んじられた法性寺の跡地だと言われています。
その後1236年に摂政九条道家が、釈迦如来像を安置する大寺院を建立することを発願。19年の歳月をかけて完成した寺院は、奈良の東大寺、興福寺の二大寺から一文字ずつ取って「東福寺」と寺名が付けられました。
九条道家は初代住職として、宗から修行を終えて帰国した円爾を迎え、無事に開山することができました。

★東福寺へのアクセス・拝観★

京都駅か~東福寺まで、バス約15分+徒歩約4分
バス料金=片道230円
拝観時間=4月~10月9:00~16:00  11月~12月上旬8:30~16:00
     12月上旬~3月9:00~15:00
拝観料金=境内は無料。通橋天・開山堂 大人600円・子供300円
     東福寺本坊庭園(方丈) 大人500円・子供300円
所在地=京都市東山区本町15丁目778

伏見奉行所跡

平安時代には、伏見は貴族たちの別荘地でした。
その後豊臣秀吉が伏見城を築城したことで、城下町として発展し、商業と交通の一大拠点となりました。
徳川幕府になってからも、宿場町として経済などの要でもあったため、伏見の町を監視する目的で、この地に伏見奉行所を設置しました。
役割としては、町の取締りはもちろんのこと、年貢の徴収や各川筋の船舶の管理もしていました。
幕末は尊王攘夷派の取締りをしたり、会津藩と新選組の拠点として激戦が繰り広げられました。そして鳥羽伏見の戦いで新政府軍の激しい攻撃を受けて、奉行所は炎上してしまいました。

★伏見奉行所跡地★
京都市伏見区西奉行町 桃陵団地内

西寺跡

平安京九条一坊にあった官寺。平安京造営の際、羅城門の西側に造られ東側には東寺も造られました。
797年に、笠江人が造西寺次官として西寺の造立に尽力している。
完成した西寺に嵯峨天皇は、守敏僧都に下賜(かし・自分より身分の低い人の物を与える)している。
寺域は200m四方を占め伽藍(がらん)の規模は東寺と同じ。金堂・講堂・南大門・中大門・五重塔などが立ち並んだ壮大な寺院であったが、度重なる戦や火災などの人災で焼失してしまいました。
その後再建されることなく今は石碑のみとなっています。

★西寺所在地★
京都市南区唐橋西寺町
JR京都駅からバス・西寺前下車徒歩4分

教王護国寺(東寺)

東寺真言宗総本山。平安京造営の際に、国家鎮護の官寺として、羅城門の東側に創建されました。
建立にあたっては、藤原伊勢人が造寺長官(建築工事責任者)として尽力しました。
完成後嵯峨天皇は、唐で新しい仏教を学んで帰国した、弘法大師空海に下賜し、真言密教の根本道場として栄えました。
寺院内は、高さ55mの日本最古の五重塔や、講堂には現存最古の密教彫刻の一群や金堂、大師堂・蓮花門など、多数の文化財がある壮大な寺院であります。

★東寺アクセス★
京都駅・近鉄電車=乗車2分・徒歩約7分 運賃150円
      バス=乗車約10分・下車後すぐそば 運賃230円
      徒歩=約15分

大覚寺御所跡

真言宗大覚寺派大本山の寺院で、別名嵯峨御所と呼ばれていることから、皇室ともゆかりのある寺院となっています。
もともとは嵯峨天皇の離宮でしたが、信頼を得ていた空海が離宮の一角に修行のための、五大明王を安置するお堂を建てたのが大覚寺の始まりです。
その後嵯峨天皇が崩御してから数十年後の876年に皇女正子内親王が、離宮を本格的な寺院に改め、開山には恒貞親王が務めました。明治時代初頭まで、代々天皇や皇族が住職を務めました。
また書院造りの正寝殿や境内の東側に広大な大沢池など、大覚寺・境内が国の史跡に指定されています。

★大覚寺御所跡のアクセス★
所在地=京都市右京区嵯峨大沢町4
参拝時間=9:00~17:00(受付時間・16:30)
市バス=京都駅から大覚寺(約54分・運賃230円)

意識することで見た目が変わる

今回は一度は訪れてほしいおすすめをご紹介しました。ですが京都にはまだまだ数多くの史跡や遺産があります。
私自身も改めて歴史を知った上で訪れると、違った目線で見れるので、ぜひ楽しみや癒しを求めて訪れてみて下さい。