伊東八重の人物像に迫る!悲劇の女性の生涯を解説【鎌倉殿の13人】第4弾

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場する人物について特集する第4弾は、新垣結衣さんが演じている伊東八重です。
ドラマ内では、ハッキリとものを言う気の強い女性でありながら、離れてしまっても源頼朝を一途に思い慕う、悲劇の女性とも言えます。
そこで伊東八重とはどんな人物であり、生涯をどのように過ぎしたのかを含め詳しく解説します。

伊東八重の生い立ち

伊東八重は、伊豆国伊東庄(現・静岡県伊東市)の豪族・伊東祐親(いとうすけちか)の三女として生まれましたが、詳しい生没年は不明です。
源頼朝が北条政子と結婚する前に、付き合っていた女性で、頼朝の最初の妻であり、二人の間には「千鶴丸」という子供もいました。
また、曾我氏・三浦氏・北条氏とは、親戚関係にあたります。

ただ、八重の存在を証明する確かな資料はなく、「曽我物語」などの、物語にのみ伝承が残される人物であり、八重という名前自体も、室町時代から江戸時代に、在地伝承で生まれた名前とされるなど、その生い立ちは謎に包まれています。

伊東八重とはどのような人物だったのか

八重は、とても美人と言われていました。
源頼朝の監視と世話をして行く中で、男女の関係になってしまったことが、八重のその後の人生を大きく変えてしまいました。
ここでは、八重の人物像を解説します。

八重と通じた源頼朝 

伊東八重の父・伊東祐親は、平清盛から信頼の厚い東国豪族だったため、平治元年(1159年)に起こった「平治の乱」の敗北により、伊豆に流刑となった源頼朝の監視を任され、八重が世話役していました。
そんな生活の中で、頼朝と八重は徐々に距離を縮めていき、祐親が京都大番役(京都の警護する職務)の任で上洛し、不在である間に急激に関係を深めていきます。
頼朝は、「ひぐらしの森」(現:日暮八幡神社)で、夕暮れになるのを待ち、暗くなると、「おとなしの森(現:音無神社)」に出向き、八重と会っていたそうです。
そして二人の間に子供が生まれることとなります。

八重姫は美しい女性と言われていた?

伊東八重は、伊東国一の美女と言われており、その美しさが目をひき、頼朝との仲が進展したのではないでしょうか。
また、当時の頼朝は源氏の流人であり、八重は平家方の豪族の娘、二人はいわゆる敵同士だったため、二人が会うこと自体が危険を伴う行為だった訳です。
その行為が逆に二人の仲を深める大きな要因だったかもしれません。
そんな二人のラブロマンスの場所が、「ひぐらしの森」(現:日暮八幡神社) 「おとなしの森(現:音無神社)」等であり、現在でもパワースポットとして残されています。
このようなスポットで当時の幸せな二人に想いを寄せてみるのも楽しみの一つかもしれません。

八重のその後どうなったのか?

伊東八重は、源頼朝と通じ子供まで設けますが、父・祐親の逆鱗に触れ、二人の仲は引き裂かれます。
頼朝と別れた後の八重については、はっきりしたことはわかりませんが、以下のような説が残っています。

  • 千鶴丸の死を知った際のショックによる入水自殺
  • 頼朝と政子の仲を目の当たりにし、頼朝と会えない悲しみによる入水自殺
  • 頼朝と通じさせないため、江間四郎(小四郎、次郎、小次郎)という人物に嫁がされた
  • 江間四郎の戦死後、頼朝の鎌倉御所で働くようになった
  • 三浦氏あるいは、千葉氏に嫁いだ

このように諸説あり、はっきりとしたことはわかりませんが、頼朝と添い遂げることが叶わなかったことだけは確かなのです。

八重と頼朝の子供は?

伊東八重と源頼朝の間には、男子が生まれ、名を千鶴丸(千鶴御前)と名付けられました。
千鶴丸が3歳になったとき、大番役の役目を終えた八重の父・伊東祐親が京都から戻り、二人の仲と子供の存在に激怒します。
平家から監督を任された源氏の流人である頼朝と、自分の娘と関係を持ち、子供まで生まれている状況を平家に知られたら、自身の信頼は失われ、処罰を受けることも免れないという恐れから、祐親は家人に命じ、千鶴丸を柴で包んで縛り上げ、おもりをつけて水底に沈めるという処刑方法で、殺害するという残酷な行動に出たのです。

その一方で、千鶴丸が実は難を逃れ生き残ったという生存説も残っています。
「乳母が密に逃がした」「通りがかった僧が引き取った」「千鶴丸殺害を命じられた祐親の家人が密かにかくまった」など諸説あるようです。
また、千鶴丸は奥州の多田家(和賀家)、出羽国の本堂家(こちらも和賀氏系)の祖となったともいわれますが、真偽の程は確かな資料もなく、八重と同様、千鶴丸の存在自体も、残念ながら定かではありません。

八重と北条義時との関係

伊東八重と北条義時は、叔母と甥、または従兄弟という関係であり、二人の間に恋愛感情は、なかったと思われます。
しかし、伊東国一の美女の誉れが高かった、八重姫を身近な存在として育ったならば、淡い恋心を義時が抱くといったことは、あり得るのかもしれません。
また八重は、頼朝と通じないようにとの父・祐親の命により、江間四郎(小四郎、次郎)へ嫁がされています。
義時の名前が「吾妻鏡」では 江間四郎(小四郎、次郎)と明記されていることが多く、尚且つ伊豆・北条寺にある義時の墓には「北條相模守従四位下 江間小次郎平義時」と刻まれています。
他にも、義時の側室(北条泰時の母)阿波局という人物は、元々は鎌倉御所に仕えていた女房であった女性でしたが、この人物こそが、八重であったのではないかという説です。
ですが信憑性は、高いものではありません。
このようにはっきりとしたことはわからない関係だからこそ、逆に想像や創作をする余白と楽しみを与えてくれているともいえそうです。

八重の最期

伊東八重の最期についても諸説あり、有力な説は2つあります。

1つ目は「入水自殺説」です。
頼朝との別れ、もしくは息子・千鶴丸の非業の死にショックを受けた事と、侍女6人と共に伊東家を出て、頼朝の後を追い、北条家に行きますが、すでに北条政子と恋仲になっていた事も含め、真珠ヶ淵に身投げし、侍女6人も後を追い自害したという説です。
ちなみに現在も残る、八重入水伝説由縁の地「真珠院」は、真珠ヶ淵に面して建てられており、八重姫を祀った「八重姫御堂」と八重姫とともに命を絶った6人の侍女を供養する「八重姫主従七女之碑」も建立されています。

2つ目は「再婚説」です。
頼朝と引き離された後、入水自殺で最期を迎えたのではなく、再婚をした(させられた)という説を採るならば、再婚を機に幸せを手に入れ、天命を全うしたといった可能性もあるかと思われます。

ですが、どちらが本当なのかは、今でもわかっていません。

「真珠院」基本情報

所在地静岡県伊豆の国市中條2番地
営業時間午前9時~午後5時
拝観料無料
アクセス伊豆長岡駅から徒歩12分程度
駐車場有(6台)

<まとめ>伊東八重は時代に翻弄(ほんろう)された悲運の女性であった

伊東八重という人物は、確かな資料はなく謎に包まれた女性です。
ただ伝説などで伝え残されているものから、源氏と平氏の争いや鎌倉幕府の創成期といった、時代に翻弄(ほんろう)された一人の悲運の女性の姿です。
しかし、同時にそうした時代の渦に巻き込まれながらも、信念を持って生きた八重の姿も感じることができます。
このような多様な八重像こそが、同時代の人々、そして現代を生きる我々の心にも、多くの共感をもたらす魅力的な人であることは間違いありません。


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